きようなできごと

記憶力が足りない

あの日見た涙をふくハンカチはまだありますか

ぼくは、自分に腹が立つ

なぜ、こんなにも涙もろいのか

 

もはや

悲しい場面なぞは、関係ない

「これって、もしかして、こうなってああなるのでは」

という、きっかけのきっかけが

みつかりさえすれば

涙のコックは開かれん

まさに、床上浸水

下の階の住民に、水のトラブルに電話をされるほどだ

 

思い出すだけでもだめなのは

友情が、なにかしらの要因によってすれ違い

壊れそうになる、けど、壊れない

というのは、本当に涙が止まらない

溜まった涙の水圧で、我が家のドアは開かなくなる

 

この夏の涙泥棒

いや、こちらが勝手に出しているのだから

ぼくこそが、涙押し付け

劇場版も公開された、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない

それのテレビ版再放送をみている

 

実在のモデルになった土地があるのだが

風景の描写が、どこか自分の田舎に重なる所があったり

懐かしいアイテム達が登場したり、秘密基地とか

とても興味深くみている

 

ただ

前述のように、感動の羽根がびんびんなので

なんでもないシーンとか、さりげないセリフで

勝手に想像して泣く、という状態

 

映画はみにいけないと思う

はじまる前の、他の映画の予告で泣いているかも

いや、映画のチケットを買う時泣いているかも

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」を泣いて言えないかも

「あの、あの、あの日みた花の名前」とか言うと

偶然あったそういう名前の単館系の映画に案内されて泣くかも

そもそも、映画館の、こういうのやってますの

ポスターをみるだけで、泣いて動けなくなるかも

映画館に行くために乗った電車を、泣いて乗り過ごすかも

 

だから、涙に濡れた床のそうじをします